世界が嘘とポーズでできているのは当然の帰結である。
何の当然の帰結か?
世界が驚愕するKazu理論その1:人間は気分で生きる動物である。
による当然の帰結である。
人はいい気分でいたいがために、嘘をつき、ポーズをとる。
嘘とポーズで生きた方が人はお互いに気分がいいのだ。
ちょっと想像してみてほしい。
嘘とポーズの無くなったSNSを。
思ったことをズバズバ言い合うSNSを。
そういう世界は、いい気分になる人が生まれると同時に不快になる人も生まれる世界だ。
言いたいことをズバズバ言う本人は気持ちがいいかもしれないが、聞いてる方は大抵は不快だろう。
世の中の「ほんとうのこと」というのは、たいていは不快なものだ。
なのでいい気分を追求する人間という生き物が、嘘とポーズを多用するのは当然の帰結なのだ。
世界は嘘とポーズでできている。
これはRLもSLも同じだ。
しかし違いもある。
SLでは、インワールドは嘘とポーズの世界であると認識したところからスタートするのに対し、リアルワールドでは自分たちの世界は決して嘘とポーズではできていない君はなんてことを言うんだ!というそもそもの”嘘とポーズ”が前提になっている。
セカンドライフは嘘とポーズの世界である。
本名でやってる人はまずいない。本当の年齢でやっている人もいない。本当の職業でやってる人もいない。嘘が前提の世界である。
セカンドライフでは、どんな笑顔でもどんなポーズでも有料無料を問わずに手に入れることができる。ポーズがすべての世界だ。ポーズで他人に示さない限り自分の意思は伝わらない。
自分の夢や意思をインワールドに、手に入れた嘘とポーズで築き上げるのがセカンドライフとも言える。
カッコいい言い方をすれば、嘘とポーズで築き上げる人間の心の真実がセカンドライフであるともいえる。
一方、リアルワールドは、嘘とポーズででき上っているのにもかかわらず、そうではないという嘘とポーズをとっている世界だ。
RLもSLも嘘とポーズででき上っていて、片方がそれを認めているのに対し、片方はそれを認めていない。
これらの違いはどうでもいい話だ。
単に皆が同意した思想の違いに過ぎない。
問題があるとしたら、RLのほうだ。
嘘とポーズででき上っているのに、決して嘘とポーズではでき上っていないという嘘をついているので、それを素直に信じる人は混乱してトラブってしまう。
嘘つきは自分のことを嘘つきだとは言わない。
嘘つきが「自分は嘘つきではない!」と言うからこそ、嘘つきは嘘つきなのだ。