一体私にとってDaz Studioってなんだったんだろう?

最近はそういうことを考えている。
最初Daz Studioは私にとって魔法のように驚異だった。
コンピューターがこんな精密で精巧な人間を描けるだなんて!
しかもまるで写真みたいじゃないか!

だが最近はAIが写真そのものを作ってしまう。
しかも誰でも簡単に。

AIが作る画像は、写真みたいではなく写真そのものだった。
ただAIを利用しての画像作りは創作なのか?という疑問は残る。
それまで先人が残した汗と努力の結果の上にAIによる画像生成が存在している。
人間が素晴らしい画像を創作しなければAIであろうともゼロからオリジナルな鑑賞に足る画像を作ることは不可能だ。

結果がすべてと言われれば、それはそうだろうが、AIによる画像生成がそれまでの人間の創作活動における労苦の上に成り立っているのは事実だ。

いわばAIによる画像生成は地球人類みんなで行う共同制作の結果だ。
厳密に言えば個人による創作活動とは言えない。
AIがどんなに素晴らしい画像生成をしても、それはオリジナルではない。
素晴らしいと思えるあるいは素晴らしいと評価されたパーツの寄せ集めでしかない。
ただこれはAIだけではなく人間の場合にも言えることなので、オリジナルとは何なんかの定義から始めないとダメなのかもしれない。

Daz Studioでの画像作成も似た問題を含んでいて。
DAZ 3Dのいろんなアセットの組み合わせがDaz Studioでの画像制作の基本となる。
照明セットにしてもフィギュアにしてもポーズにしても、自分でオリジナルなものを創ることは可能だが、私の場合それはしていない。

ただ単にDAZ 3Dで購入したDaz Studio用のアセットを組み合わせているだけだ。
組み合わせにこそ創造性があると言えば言えるのかもしれない。

Daz Studioでレンダリングした画像は自分の著作物なので、購入したアセットの使用不使用は問わない。そういう意味ではごく簡単にいくらでも自分の著作物を生産できるのがDaz Studioだ。
ただ当たり前だがそれがいい作品であるかどうかは別の問題だ。
他人に評価されない著作物をいくら作ったとしても意味がない。
著作物は他人に評価されて初めて意味を持つ。

となると結局、Daz StudioにしてもAIによる画像生成にしても、それが誰の著作物か?そして第三者の評価に値する著作物か?この二点が重要に思える。

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