以下、きっとそうなんだろうなという仮想の理論です。
仮定:現実世界は嘘とポーズで出来ており、しかもそれを否定するという嘘を重ねている。
その原因となる仮定:人間は気分で生きている(思考ではない)
人間は気分で生きており、しかも、良い気分でいることを目指している。
そう仮定した場合、嘘とポーズの方が真実より、気分が良いというのは容易に想像がつく。
例えば、肥満も個性のひとつであると嘘をついた方が、太ってる人も、それを容認する人も、気分が良い。(ウィンウィンの関係)
同じように、嘘つきとか、あなたはポーズだけだ!と言われるより、正直で誠実だと言われる方が(嘘でも)気持ちが良いに決まっている。
それゆえに、現実世界は嘘とポーズで出来ているのにも関わらず、そうではないと嘘をつく。あるいは、そうではないと思い込む。
私は、嘘とポーズで出来上がる世界を否定はしない。その方がお互いが良い気分でいられる確率は高い。嘘とポーズのない世界は、想像しただけで、恐ろしいw
問題なのは、世の中は嘘とポーズで出来ているのに、嘘とポーズで出来ていないと思い込むことだ。この方がいろいろと厄介な問題を引き起こす。
どうして世の中は嘘だらけなの?
その答えは、その方がウィンウィンで気分が良いので、皆が容認しているから。
しかし皆は決して世の中は嘘だらけじゃないと言う。
もちろんこれ自体が嘘になっている。
自分は嘘つきではないと思い込む方が気分は良い。
あるいは嘘つきが嘘つきではないと思い込める理論を創り出して世に浸透させるかも知れない。
ある意味、私は嘘つきではないという嘘を暗黙の裡に了解しているのが、「大人」ということなのだろう。
だから、嘘つきは大人の始まりとも言える。
付随していえば、それゆえに、騙される方が悪いという言葉も生まれてくる。
嘘つきは自分が嘘つきなので、常に他人の嘘にも警戒している。
それが当たり前なので、なんであなたは嘘を警戒しないのだ、こんな嘘だらけの世の中なんだから、それくらいわかるでしょ?騙される方が悪いんだよ、という考え方も生まれてしまう。